FUJI Aca History Vol.19

高3になった私は一念発起、大学受験に向けて動き出しました。
その当時の全国模試の偏差値は30後半から40前半…。
四の五の言わずにやるしかありません。
すでに私立文系を選択していた私は、国語・英語・世界史の3教科にターゲットを絞りました。
そしてどの大学のどの学部を受けるか?
当時ヒットしていた『ショーシャンクの空に』に触発された私は、「正義の弁護士」になるべく、法学部を目指すことにしました。
「国立大学めざすなら高2から、私立大学めざすなら高3から。」
担任のその言葉を信じて、私の人生史上最大の下剋上ミッションが始まりました。
つづく
【FUJI Aca 生徒 History Vol.19】
今回紹介するのは R くんです。
友だち思いの心優しい子で、私が初めて会ったときに抱いた印象は、とにかく何をするにも丁寧だなーというもの。
問題を解くのもとても丁寧で、途中式まできれいにそろえて書きます。
字も本当に丁寧で、パソコンで打った文字のよう。
かと言って、問題を解くのが遅いわけではありません。
この子はできるようになるだろうな!
長年の経験から直感で感じ取りました。
【定期テスト】5科順位 中2の1学期中間26位→1学期期末15位→2学期中間5位→2学期期末1位→3学期学年末17位
【北辰テスト】5科偏差値 4月5科58.2→9月5科66.4→1月5科63.1
【進学先】第1志望の大宮北高校(偏差値60)に進学
中2の6月に入塾してくれた R くん。
うちの指導に合っていたのか、入塾後は驚くべきスピードで順位を上げていきました。
当然私も家族も先生も友だちも、みんなが期待するようになります。
しかし、R くんにとってはそれが大きなプレッシャーであり重荷だったようです。
中3の間は、同じように頑張って同じような点数を取っているのに、10位以内に入れないことに悩んでいました。
「5位とか1位を取れたこと自体が自分にはできすぎで…。」
彼の中には常にその思いがあったようです。
志望校もなかなか決まりませんでした。
内申点的にはどの高校でも望めば目指せる状況。
でも、なかなか北辰テストの成績が上がってこない…。
とりあえず1学期の成績から大宮北高校を目指そうということになりました。
しかし、夏期講習の勉強を経て、9月の北辰テストで大きくステップアップしました。
この内申点とこの偏差値なら…、不動岡・越谷北・浦和西と上を見てもいいんじゃないかな。
私からの提案と、親御さんの上を目指してほしいという希望もあって、今度は浦和西を目指そうということになりました。
しかしこれも本人には重荷だったようです。
当時の大宮北は標準問題、浦和西は選択問題、特に数学と英語の難易度の差がハンパではありません。
もともと理社が得意で、数英に苦手意識のあった R くんは、過去問や模擬テストをやるたびに暗い顔で帰ってきたそうです。
ある時、家で「勉強するのがつらい…」と言って涙したのを見て、これはただ事ではないぞと親御さんから連絡がありました。
あぁ、そんなに追い詰めてしまっていたのか…。
塾で勉強を始めて、これだけ結果が出せるようになって、当然自分のベストの成績で合格できるような高校を目指させる方が満足度の高い受験ができるはず。
そんな固定観念でしか見られず、R くんの本当の気持ちに気づいてあげられなかったことを深く反省しました。
結果的に、当初から第1志望としていた大宮北高校を受験し、見事合格を果たすことができました。
ただ、それ以上に印象に残ったできごとがあります。
大宮北高校はとても仲のいい同級生と一緒に受験していたのですが、その友だちは残念ながら不合格となってしまいました。