FUJI Aca History Vol.7 Part2
- fujiacademy
- 5 日前
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以前 FUJI Aca History Vol.7 で紹介した生徒からメールが来ました!
どうやらこのブログを見て昔を思い出したとのこと。
この子が卒塾してからどのような道を歩んでいったのか、この場を借りて紹介したいと思います。
~藤井先生
ご無沙汰しております。
お元気にされておりますでしょうか?
近況をご報告したくご連絡いたしました。
私は春日部女子高校を卒業後、高知大学地域協働学部に進学し、現在は4年生として卒業論文に取り組んでいます。
また、大学卒業後は、岡山県の自動車販売会社に就職することが決まりました。
先日、先生が書いてくださった、私の FUJI Aca History を拝読しました。
あの頃の私は、何となく成績は上がるけど、自分のモチベーションはそこまで付いてきていないというギャップに、苦しんでいたことを思い出しました。
特に11月の北辰の後、理科の猛特訓に取り組んでいた時は、とにかく絶望していたことを覚えています。(笑)
ちなみに、大学受験でも高校受験と全く同じ道を辿っていました。
高3の8月まで吹奏楽部で活動し、そこから勉強を始めて少しづつ成績が上がっていたものの、11月で最低の成績を取り、追い込まれて冬休みで挽回し、無事に合格するという、まさにデジャブだと思います(笑)
高校では一切塾に通っていないのですが、中3の時に諦めなかったからこそ、大学受験でも最後まで踏ん張ることができました。
「出来る」という成功体験を積ませてくださった藤井先生には、今でも深く感謝しています。
相変わらず英語と数学は大の苦手科目ですが、勉強へ向き合うハードルは、あの頃と比べて格段に低くなりました。
春女を諦めかけていた私を引っ張り上げて下さり、ありがとうございました。
もしあの時春女を諦めていたら、大学受験も就活も、上手くいかなくなった時にすぐ諦める癖がついてしまっていたと思います。
藤井先生に出会えたことは、今の私に繋がる大きな財産です。
長文になってしまいましたが、埼玉も寒さが厳しくなっている頃かと思います。
高知もかなり冷え込みが増してきました。
どうかお身体にはお気をつけてお過ごしください。~
こんなに立派なメールをくれるようになるなんて…泣
フジアカは私が1人ですべてをやりきることを理念に立ち上げた塾です。
すべてを1人でやりきるには当然限界というものがあります。
フジアカの限界は、小中までの指導で手一杯になってしまうこと。
でも長い人生の中で見たら、実は高校受験は通過点でしかなくて、
そこで伴走をやめてしまっていいのだろうか…、と悩んだこともありました。
でも、この子のメールを見て、霧が晴れたような心境になりました。
すべてを1人で背負いこむ必要ないんだなって。
最後の大学受験まで伴走することはできないけど、
でもバトンを託すことはできる。
子どもたちはそれぞれのステージでまた新しい伴走者を見つけるだろう。
それは高校の先生かもしれないし、予備校の先生かもしれない。
もしかしたら、ライバルと書いて友と呼ぶような伴走者を見つける子もいるかもしれない。
フジアカを卒塾していった子どもたちの成長速度は、きっと私が思っている以上に速いんだろうな。
そしたらやっぱり私はバトンを託す側になろう。
思いっきりたくましく育てて、次のステージに送り出そう。
そう思わせてくれるメールでした。
ありがとな!





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